名取市、岩沼市と災害時協力協定を締結していた。しかし、被害が甚大なため、市役所担当者と動物救護活動について話し合ったが、動物以外のことで手一杯なので、獣医師会で独自に活動して欲しいとのことであった。宮城県獣医師会事務局および地区会員とも連絡が取れない中、各避難所(小学校・中学校・高校・公民館・集会所など13箇所)巡回指導(イヌ78頭、ネコ21匹、インコ1羽)および支援物資(ドッグフード・猫砂など)の配布が始まった。3月中は、同行避難所でヒトのアレルギーや呼吸器疾患への苦情があって、岩沼市内空き地にテント村(簡易飼育施設;イヌ2頭・ネコ3匹)を設置した。イヌネコについても疲労・不衛生・車中泊・防寒の対応や子犬出産・持病の悪化・感染症に対する往診の要望が出始めた。また、マスコミの取材対応や支援物資(猫砂5k × 150袋など)受領や配布がガソリン不足の中で行われた。4月に入って避難所暮らしのストレスに伴う疾患・持病の悪化は日毎に酷くなった。簡易飼育施設にはイヌ3頭・ネコ2匹が追加になった。との頃になると多くの避難所でヒトの健康問題が発生し、仮設住宅捜しなどと相侯って、各動物病院の診療が忙しくなり、一時預かりや入院による避妊・去勢手術も増加した。また、市町担当者からは仮設住宅への引っ越しや狂犬病予防注射の話し合いが持たれた。4月も下旬になると宮城県獣医師会の方針が示され、同支部の会議が持たれ、義援金を申請することも決定した。さらには、被災動物保護センター(二次シェルター)の立ち上げに参画し、新たにイヌ・ネコの搬送と当番の義務が生じたため、日時の割り振りを決めた。5月以降は概ね次のように展開した。